「ウシャコダ」千葉県松戸市、ジョーヂア州金作(キンサク)農場で生まれた快男児6人!各地のコンサートなどにおいて大好評を博し、今回のデビューをかざることにあい成る!
'78イーストウエスト大会最優秀グランプリ受賞!
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*メンバー・プロフィール
藤井ヤクハナ(ボーカル)土地は命ぢゃ。
若山ゲゾミ(キーボード)のれば都ぢゃ。
レイパー陰ぢ(ギター)マブチモーター入り電動バイブギター。このおやぢのわざ、三段スライド・チョーキングがでるか?
中むらホラレ(ギター)名器船橋OS335がぬめる!!
胃の珍味(ドラムス)…私、ピンクのサウスポー。
種なしエッグ(ベース)…語り草にもある恐怖のだっこくベース・サウンド |
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1978年
ヤマハ主催の「イースト・ウエスト」で、最優秀グランプリ受賞。
(アルバム「East West '78」キャニオン・レコードに収録)
バンド名の由来は、「牛は買うたか」という説もある?
1979年
ワーナー・パイオニアより、1stアルバム「土一揆」をリリース。
デビュー当時は、"麦わら帽子で千葉県の百姓"といったいでたちで話題を集める。
1980年
シングル「愛の水虫殺 / 田舎ディスコ」、2ndアルバム「パワフル・サラダ」をリリース。
遠藤賢司「宇宙防衛軍」(LP)、三上 寛「なかなか」(EP)に参加。
この年、マディ・ウォーターズの前座を努める。
1981年
Jumpレーベルよりシングル「MEMPHIS TENNESSEE / EVERYDAY
EVERYNIGHT」を制作しリリース。
橋本一子 藤本敦夫「COLORED MUSIC」(LP・藤井 恵福のみ) 、EXOTICS「SOUTHEN
WHISTLER」(LP)に参加。
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1982年
トリオレコードに移籍。3rdアルバム「ソウル・トゥー・ユー」をリリース。
岡林信康「夕べの祈り / ムーンライト」(EP)に参加しジョイントツアー。
有頂天「土俵王子」(LP・藤井のみ) に参加。
1984年
9月1日 東京渋谷LIVE INNでのLIVEを最後に解散。
1997年
松戸市馬橋のライブスポット オリンズにて再結成、復活!
2003年
5月、2ndアルバム「パワフル・サラダ」のCD復刻盤をリリース。
2005年
松戸一揆 其の壱。
2006年
松戸一揆 其の弐 "ウシャコダが斬る!懲らしめてやりなさい!"。
2007年
松戸一揆 其の参 "平常心"。
松戸一揆 其の壱の音源を収録した『Live!「松戸一揆」』をリリース。 |
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藤井康一 |
1957年
千葉県・木更津生まれ、松戸育ち。
小学校の時、毎週欠かさず観ていた「大正テレビ寄席」。そこで師匠 " 牧伸二
" に出会い、シビレ、親にウクレレを買ってもらう。初めて手にした楽器がウクレレ、夢中になって観ていた演芸の世界。現在の芸風は、この時すでに決定されていた。
中学時代にウクレレをフォーク・ギターに持ちかえ、「拓郎、泉谷、古井戸」。高校時代はロック・バンドで「Deep
Purple、Doobie Brothers」に出会い、どっぷりとブラック・ミュージックの世界にはまって行く。
そして、地元の同級生達と結成したのが、ハード・パンク・ブルース・バンド「ウシャコダ」。
1978-1984年
上記の " ウシャコダ・プロフィール " 参照
1985年
味の素CFソング「シュガーケイン」をキングレコードよりをリリース。
1986年
コロムビアレコードより、ソロ・アルバム「独立宣言」リリース。
1988年
FM795(FM埼玉)開局時より2年間「サンデー・オン・ザ・ウェイ」(日曜日7:00〜12:00)のパーソナリティとして生放送を担当。
1989年
「サンデー・オン・ザ・ウェイ」に師匠 「牧伸二」を招き、感動の対面。非公式ながらも
「牧伸三」の芸名をもらう。この頃より本格的にウクレレを弾きはじめる。
1991年
FM北海道(Air G) 「藤井康一のボーダー・ジャム」 (金曜日26:00〜27:00) 放送開始。
1992年
WEAMUSICより、札幌の老舗バンド「ベーカーショップ・ブギ」のギタリスト、"
関ヒトシ " とのアコースティック・デュオ・アルバム「私の青空」をリリース。
1993年
塩次伸二の「COOKIN' WITH B-3 」(VIVID) に、チャールズ・アーランド(Og)、妹尾隆一郎(Harp)、らとテナー・サックス、ヴォーカルで参加。
1995年
ゲスト・ヴォーカルに服部恭子を迎えて、JAZZY JIVE (吾妻光良 Vo.G、山崎よしき
Ds、照本史 P、恵福浩司 B)のライヴ・アルバム「BUZZ
BUZZ SHOO-BE DOO-BEE」 (VIVID) をリリース。
1999年
関ヒトシとのセカンドアルバム「あつ燗と中華」
をリリース。
2000年
4月、関ヒトシとのサードアルバム「ウクレレでごめんね」をリリース。
2001年
6月、関ヒトシとの4thアルバム「リトル・ジャイヴ・ボーイス」をリリース。
7月、師匠「牧伸二」の「ダンジイの応援歌」をプロデュース。また、Little Jive Boysのメンバーもレコーディングに参加。
8月、オムニバスアルバム「CURRY BLOW」に、Little Jive Boysで牧伸二とともに参加。
2002年
8月、関ヒトシとの5thアルバム「ウクレレ マン」をリリース。
2004年
5月、牧伸二「コキコキロック70」をプロデュース。
8月、「チャンポンダマンボ」/Little Jive Boys 、「ピンガでヘベレケ」/Little Jive Boysをリリース。
2006年
9月、牧伸二「ボケボケロック」をプロデュース。
真の大衆娯楽としての大衆音楽を目差し、
あちらこちらで、老若男女問わずすべての観客をまき込み、
精力的にライブ活動中 ! |
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関ヒトシ |
1950年
北海道夕張市生まれ。
1970年
札幌にて「ベイカーショップ・ブギ」結成。
1981〜1982年
ビクターレコードより2枚のアルバムをリリース後、ベイカーショップ・ブギを脱退。ソロ活動開始。
1990年
札幌市教育文化会館にてソロ・ギターのみのコンサートを行う。同年上京。
1991年
石橋凌主演Vシネマ「死神の死者」 音楽製作担当。
1992年
" 藤井康一 " とのアコースティック・デュオ・アルバム「私の青空」をWEAMUSICより、リリース。
石川二三夫(ブルースハープ)のアルバム「れくいえむ」のサウンド・プロデュースを担当。
1993年
10月、三重県伊勢にてソロ・コンサートを行う。
1991〜1995年
東京を中心に、加藤登紀子や影山民夫らをはじめ様々なコンサート活動やセッション、レコーディングに参加。
1995年
6月、北海道の自然をテーマにしたソロ・アルバム「A
LYRIC POET ON GUITAR」リリース。
1996年
10月、2ndアルバム「草原を北へ」リリース。
*1999年以降は、藤井康一プロフィール参照。 |